擬似時計技術開発物語
プロローグ 日本でも独自の測位衛星を作ろう
21世紀初頭。日本はさまざまな問題を抱えていた。少子高齢化社会の進行。国家財政の悪化。バブル経済崩壊から続く長期の景気の低迷。さらに追い討ちをかけるかのように、中国・ロシア・インドなどの新興国の台頭。このままでは経済的にも、政治的にも、外交的にも、またもしかしたら日本のお家芸でもある科学技術さえもが世界に遅れをとることになってしまう。そんな苦悩が当時の小泉内閣にはあった。
そんな中、1998年に当時の小渕首相とアメリカのクリントン大統領の間で、「GPS(Global Positioning System)利用に関する日米共同声明」が出され、アメリカとの連携を保ちながら、日本独自の測位衛星を開発しようという動きがあった。日本ではGPSを使ったカーナビゲーションなどの応用がすでに開発されており、GPSの民生ユーザとしては世界最大だったからである。
アメリカのGPSは、軍事技術として宇宙開発の開始とともにすでに研究をされ始めている。この技術を用いることで、目印のない海洋上やジャングル、砂漠の中での軍事作戦の実行や、ミサイルなどの誘導が可能になるからである。アメリカで本格的なGPSが整備されたのは1989年のことである。このころ、すでに日本ではGPSを使ったカーナビが開発されている。ただし、このころは民生用のGPSの精度はアメリカによってわざと劣化されていた(これをSelective Availability, SAと呼ぶ)。
1991年の湾岸戦争のとき、GPSの威力は実証された。米軍が民生用の機器を使用していたため、一時的に民生用の精度劣化も解除され、その真価が改めて認められるようになったが、その後再びわざと民生用の精度の劣化が実施された。しかし、2000年5月以降、民生用の精度劣化は解除された。
そのような流れの中、アメリカに測位精度の主導権を握られたままの測位システムで、日本のカーナビを始めとする測位衛星応用技術が大丈夫なのか、ということが議論になり、日本でも独自の測位衛星を開発する必要があるのではないか、ということが議論された。
GPSは世界中で測位ができることを考えたシステムである。このため、衛星を地上から眺めたとき、世界をめぐるために順次見える衛星が変わることになる。しかし、日本地域で使える衛星となると、静止衛星か、静止衛星の高度で軌道傾斜角を変えて、8時間だけ日本上空に滞空する準天頂衛星を3機以上使うシステムということになる。このような衛星を、測位に必要な4機以上配置したシステムが日本の目指す測位衛星システムということになる。日本では2003年から独自の測位衛星として、まず準天頂衛星を1機開発することに決まった。
ところで、GPSの測位の方法は、4つ以上の衛星から放送される電波が地上に届くまでの距離を測り、放送されている衛星の位置を使って位置を計算している。衛星と地上の距離を正確に測ることが精度にとって重要である。この距離を測るには、電波の伝播時間を使っている。GPSから放送される信号には、衛星に搭載されている時計の時刻が含まれている。これを地上の受信機が受信し、受信機の時計との差を比較して電波の伝播時間を求めている。受信機にはそれほど正確な時計が載っていないから、その誤差も合わせて計算している。この技術を実現するためには、GPSにはきわめて正確な時計が載っていなくてはならない。現在のGPSには、セシウム原子時計やルビジウム原子時計といわれるものが搭載されていて、10万年に1秒しか狂わないといわれている。電波の伝播速度はきわめて速く、1億分の1秒で3m進む。逆に言うと、1億分の1秒の誤差があれば3mの誤差になる。仮に10万年に1秒しか狂わないとしても、短時間の誤差を測定するのは難しい。原子時計は大きくなるほど精度も出やすいが、温度や振動などの影響も受けやすく、管理が大変である。
一方、電波時計という技術がある。これは、送信局に原子時計を置いておき、その原子時計の時刻の情報を標準電波として放送し、これに水晶発振器を使った壁時計や腕時計を同期させるものである。このような送信局は日本に2つ、福島県と福岡県・佐賀県の県境にある。ここから放送される時刻は日本標準時であり、総務省の独立行政法人情報通信研究機構が管理している。なお、日本標準時ということでは情報通信研究機構の管理であるが、1秒、あるいは1Hzという単位の管理ということになると、筆者の属する経済産業省の独立行政法人産業技術総合研究所も管理をしている。産業技術総合研究所にはもともと日本の度量衡を管理していた計量研究所を前身とする計測標準を扱った研究部門があり、長さ(m)や質量(kg)などほかの単位も管理している。
電波時計は、伝播遅延を考えていないので、たとえば福島県から放送された電波を大阪に置かれた壁時計で受けると、その距離の分(900kmだとすると約3 ms(1000分の3秒))だけ同期がずれることになる。つまり、いつも本当の日本標準時に比べて3 ms遅れた時刻で動くことになる。
この物語で扱う擬似時計技術は、地上局に置いた原子時計を使って、測位衛星に搭載された水晶発振器を制御し、あたかも原子時計が測位衛星に搭載されているかのようにする技術である。これを実現するために、ひとつの方法としては電波時計の方法で、電波が測位衛星に到達した瞬間に正しい時刻になるように電波の伝播時間だけ時刻を進ませて放送することである。準天頂衛星であれば、沖縄からであれば1日中衛星を追跡することができ、電波時計の方法でも1つの局から時刻合わせの電波が1日中連続して送信できる。1億分の1秒(10ナノ秒)以下で時計あわせをするためには、衛星と地上局の位置を正しく計算すること、電波が伝わる途中の大気や電離層の影響を知ること、地球の回転や、潮汐による位置のずれを知ることなどが必要になる。
情報通信研究機構は、準天頂衛星に搭載された時計の時刻と、自身が管理する日本標準時を比較する研究を行うことになっている。擬似時計技術の別の方法として、この成果を使わせてもらい、搭載時計と日本標準時の時刻差を情報通信研究機構から提供してもらい、所定の時刻に制御するための水晶発振器の制御電圧を地上で計算し、コマンドとして地上から送信する方法も検討した。
準天頂衛星の初号機「みちびき」は、2010年9月11日、種子島宇宙センターから打ち上げられた。「みちびき」にはルビジウム原子時計が搭載されているが、将来の実用化を目指して擬似時計の実証実験がなされることになった。
これは、さまざまな人に支えられながら開発されて行く擬似時計技術の物語である。
そんな中、1998年に当時の小渕首相とアメリカのクリントン大統領の間で、「GPS(Global Positioning System)利用に関する日米共同声明」が出され、アメリカとの連携を保ちながら、日本独自の測位衛星を開発しようという動きがあった。日本ではGPSを使ったカーナビゲーションなどの応用がすでに開発されており、GPSの民生ユーザとしては世界最大だったからである。
アメリカのGPSは、軍事技術として宇宙開発の開始とともにすでに研究をされ始めている。この技術を用いることで、目印のない海洋上やジャングル、砂漠の中での軍事作戦の実行や、ミサイルなどの誘導が可能になるからである。アメリカで本格的なGPSが整備されたのは1989年のことである。このころ、すでに日本ではGPSを使ったカーナビが開発されている。ただし、このころは民生用のGPSの精度はアメリカによってわざと劣化されていた(これをSelective Availability, SAと呼ぶ)。
1991年の湾岸戦争のとき、GPSの威力は実証された。米軍が民生用の機器を使用していたため、一時的に民生用の精度劣化も解除され、その真価が改めて認められるようになったが、その後再びわざと民生用の精度の劣化が実施された。しかし、2000年5月以降、民生用の精度劣化は解除された。
そのような流れの中、アメリカに測位精度の主導権を握られたままの測位システムで、日本のカーナビを始めとする測位衛星応用技術が大丈夫なのか、ということが議論になり、日本でも独自の測位衛星を開発する必要があるのではないか、ということが議論された。
GPSは世界中で測位ができることを考えたシステムである。このため、衛星を地上から眺めたとき、世界をめぐるために順次見える衛星が変わることになる。しかし、日本地域で使える衛星となると、静止衛星か、静止衛星の高度で軌道傾斜角を変えて、8時間だけ日本上空に滞空する準天頂衛星を3機以上使うシステムということになる。このような衛星を、測位に必要な4機以上配置したシステムが日本の目指す測位衛星システムということになる。日本では2003年から独自の測位衛星として、まず準天頂衛星を1機開発することに決まった。
ところで、GPSの測位の方法は、4つ以上の衛星から放送される電波が地上に届くまでの距離を測り、放送されている衛星の位置を使って位置を計算している。衛星と地上の距離を正確に測ることが精度にとって重要である。この距離を測るには、電波の伝播時間を使っている。GPSから放送される信号には、衛星に搭載されている時計の時刻が含まれている。これを地上の受信機が受信し、受信機の時計との差を比較して電波の伝播時間を求めている。受信機にはそれほど正確な時計が載っていないから、その誤差も合わせて計算している。この技術を実現するためには、GPSにはきわめて正確な時計が載っていなくてはならない。現在のGPSには、セシウム原子時計やルビジウム原子時計といわれるものが搭載されていて、10万年に1秒しか狂わないといわれている。電波の伝播速度はきわめて速く、1億分の1秒で3m進む。逆に言うと、1億分の1秒の誤差があれば3mの誤差になる。仮に10万年に1秒しか狂わないとしても、短時間の誤差を測定するのは難しい。原子時計は大きくなるほど精度も出やすいが、温度や振動などの影響も受けやすく、管理が大変である。
一方、電波時計という技術がある。これは、送信局に原子時計を置いておき、その原子時計の時刻の情報を標準電波として放送し、これに水晶発振器を使った壁時計や腕時計を同期させるものである。このような送信局は日本に2つ、福島県と福岡県・佐賀県の県境にある。ここから放送される時刻は日本標準時であり、総務省の独立行政法人情報通信研究機構が管理している。なお、日本標準時ということでは情報通信研究機構の管理であるが、1秒、あるいは1Hzという単位の管理ということになると、筆者の属する経済産業省の独立行政法人産業技術総合研究所も管理をしている。産業技術総合研究所にはもともと日本の度量衡を管理していた計量研究所を前身とする計測標準を扱った研究部門があり、長さ(m)や質量(kg)などほかの単位も管理している。
電波時計は、伝播遅延を考えていないので、たとえば福島県から放送された電波を大阪に置かれた壁時計で受けると、その距離の分(900kmだとすると約3 ms(1000分の3秒))だけ同期がずれることになる。つまり、いつも本当の日本標準時に比べて3 ms遅れた時刻で動くことになる。
この物語で扱う擬似時計技術は、地上局に置いた原子時計を使って、測位衛星に搭載された水晶発振器を制御し、あたかも原子時計が測位衛星に搭載されているかのようにする技術である。これを実現するために、ひとつの方法としては電波時計の方法で、電波が測位衛星に到達した瞬間に正しい時刻になるように電波の伝播時間だけ時刻を進ませて放送することである。準天頂衛星であれば、沖縄からであれば1日中衛星を追跡することができ、電波時計の方法でも1つの局から時刻合わせの電波が1日中連続して送信できる。1億分の1秒(10ナノ秒)以下で時計あわせをするためには、衛星と地上局の位置を正しく計算すること、電波が伝わる途中の大気や電離層の影響を知ること、地球の回転や、潮汐による位置のずれを知ることなどが必要になる。
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